2001年12月6日
第153回国会 衆議院 憲法調査会

案件:日本国憲法に関する件 自由討議


会議録抜粋

○中村(哲)委員

 民主党の中村哲治でございます。五分の陳述をさせていただきます。

 私は三十歳です。二十八歳で国会議員となりまして、新しい世代の代表として、憲法観を述べさせていただきたいと思います。

 私は、この日本という社会はまだ日本国憲法の理念を生かし切っていない、いわば社会が憲法に追いついていない現状にあると思っております。そういうことに関しまして、私よりいわば三十歳ぐらい上の世代の人たちからは、これは立法経緯が間違っていたからだ、これは日本の国民の民族の感覚で憲法を改正しなくてはならない、定め直さなくてはいけないという意見がありますが、それには、法律と社会の乖離というのはある種あるものであるということをまず主張させていただきたいと思います。

 例えば、道交法で定められているもの、皆さん守っておられるでしょうか。しかし、スピード違反をみんなしているからといって、それに道交法を合わすべきだという議論はないと思われます。

 人間は常に理性を持って行動できるわけではありません。しかし、その理性を規範として高め、規範として法律、また、憲法に定めるからこそ、それに向かって、人間は理性を持って、尊厳を持っていく存在として自分たちの社会を変えていく、そういうふうな運動をつくっていけるのではないでしょうか。そういう意味で、何のために憲法があるのか、それを私たちはきちんと認識しなくてはならないのではないでしょうか。

 言うまでもなく、人間一人一人が尊厳を持った存在であること、そして、そういう尊厳を持った存在であるからこそ、自分とは違う他人を認め合っていくこと、それが憲法の根本的な考え方でございます。私は利己主義は否定しております。利己主義と個人主義は明確に分けて考えなくてはなりません。ある個人が自分とは違う個人も尊重していく義務を持っていくこと、これが戦後の日本社会できちんと共通認識としてあったのかといえば、それもまた疑問であります。そういう意味でも、行き過ぎた利己主義が進んでいる、これも日本国憲法が認めていない状況であります。この件に関しても私たちは見ていかなくてはなりません。

 そういう観点で、本日私が述べたいことは、憲法解釈と憲法訴訟の問題であります。

 憲法解釈は、第一義的に国会議員の権能であります。憲法訴訟で合理性の基準が用いられ、合憲性の推定がなされているのも、これは、立法府が全国民を代表する国会議員で構成されており、そこで憲法解釈がなされて立法がなされているからでございます。

 よく内閣法制局が憲法解釈をするということが言われておりますが、そもそも内閣に法案提出権が認められているということも憲法上議論があります。ただ、七十二条前段の「議案」に法律案も含まれているということで、憲法学上、内閣に法案提出権が認められておるから、その範囲内で法制局は憲法解釈をしているわけでございます。

 先ほど環境権の話が出てきましたが、これも、私たち国会議員が憲法十三条に基づいて新しい人権だと認め、基本法で制定すれば、環境権は人権とすることができます。私たち国会議員の判断が問われております。

 憲法訴訟の制度について一言さらに述べさせていただきます。

 十一月二十九日の畑尻参考人の意見にもありました、最高裁に憲法部を設ける、そういうふうな仕組みでございます。憲法判断を最高裁が積極的に行っていく仕組みをつくっていくこと、これが、憲法の理念をこの社会で生かし切れているのか、それをチェックする大きなシステム、仕組みとなると思います。この畑尻参考人の意見は、下級審が違憲判断をしたときにそれを移送決定するということですから、下級審の判断も保障されることになります。どうか、検討をお願いいたしたいと思います。
 ありがとうございました。

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