2001年12月4日
第153回国会 衆議院 総務委員会

案件:地方自治法等の一部を改正する法律案

参考人:横浜国立大学名誉教授 成田頼明 氏、千葉市長 鶴岡啓一 氏、政策研究大学院大学教授 福井秀夫 氏、北海学園大学教授 森啓 氏 →意見陳述を見る

[1]質疑内容   [2]会議録抜粋


[1] 質疑内容(20分)住民訴訟制度について」

地方自治法の一部改正案の中に、住民訴訟制度の被告を職員から地方自治体に変更する、という項目が入っています。今の制度では、たとえば、市役所職員が私的に公金を流用すると、住民(原告)がこの職員(被告)を相手に裁判を起こし、住民が勝つと流用額は自治体に返還されます。改正案では、被告が職員から市役所に変更されます。
党としてこの住民訴訟制度の被告変更に対し、反対を決めています。そもそも住民訴訟は、住民が被害者たる自治体にかわって訴えるものです。その背景には、公金は自治体の財産であり、違法に流用されると自治体とその主人である住民が被害をこうむる、ということがあります。もし被告を自治体にすると、一体であるはずの住民と自治体が敵対関係にたってしまうことになるからです。
今回は、賛成、反対それぞれの立場から専門家の参考人をおよびして、参考人質疑を行いました。この被告変更についての質問を、福井秀夫政策研究大学院教授に行い、福井教授からは、行政での経験もふまえながら、意見陳述をいただきました。今の制度の下でさえ自治体は住民になかなか情報を開示しないのに、住民と自治体が敵対関係に立つと、住民は裁判を起こすのに十分な情報を得ることはできないだろう、とのことでした。

[2] 会議録抜粋

○中村(哲)委員

 おはようございます。民主党・無所属クラブの中村哲治でございます。

 私は、ちょっと頭が悪いようでございまして、先ほど成田参考人のおっしゃった説明が理解できませんでした。
 物事は、手続法と実体法と両方の考え方をきちんと峻別して考えなくてはいけないと思います。自治体が違法支出等をその機関によってされて、それを争う場合に、その争う前提となる実体法的な考え方をしますと、違法な支出をされた被害者はやはり自治体ではないでしょうか。そして、自治体のマスター、主人というのは言うまでもなく住民です。首長ではありません。首長も監査委員も、あくまで自治体から雇われる、そういうふうな機関であるはずです。

 先ほどの御説明で私が一度聞いた限りでわからなかったのが、当初考えたのと違う形で発展してきた、そして、被害者が被害者を訴えるという見解もあるけれども、被害者かどうか、これを争うのがこの訴訟のあり方なんだからというふうなことを説明されました。私は、被害者が被害者かどうか争うというのはそれこそ訴訟法的な観点の見方であって、まず実体法は前提として法律の構造にあるわけですよね。やはり、どう考えても、機関を中心に考えるのではなく、自治体を中心に考えるべきである。自治体が損害を機関によって引き起こしているからこそ、こういうふうな訴訟類型が考えられたというのがそもそもの制度の趣旨だったのではないか、私はそのように考えますが、それについて、普通の国民が理解しやすいような形で説明をしてください。よろしくお願いいたします。

○成田参考人

 先ほどの御説明で足りない点があったかもしれませんけれども、当初の考えておりました損害賠償の対象になりますのは、例えば背任、横領とか、公金をくすねてポケットに入れた、今国で起こっているような事件を想定して書いているわけですね。こういった場合には、当然これは返還する義務があるし、返還しない場合には、それを返還する請求権があるというのは当然だと思うんですね。

 ところが、やはり、今問題になっておりますのは、いわば実体法の問題で、不法行為あるいは不当利得の返還請求権ということになるわけです。

 これまでいろいろな行政法の判例、戦後も発展してまいりましたけれども、一体、長のどういう行為が地方公共団体に対して不法行為責任として損害賠償責任を負うことになるのかという、この実体法については全くその規定がないわけですね。そういう問題があるのを、いろいろな判例を通じていろいろ扱われてきた。そういう中で、さっきからお話がありますように、政策問題にも触れるような形で問題が起こってきたわけでありますけれども、判例を見ていますと、やはり裁判所である以上違法であるということを言わなきゃならない。そのために、我々の目からいたしますと、かなり無理をして、単に不当な事案と思われるものが裁量権の逸脱、乱用というふうな行政処分一般の法理を使って解明されている。かなりそこには無理があるんじゃないかというふうな気がするわけです。

 そこで、やはり、被害者かどうかというのは、不法行為として本当に賠償責任を持っているのかどうか、それから、そういう賠償責任があるとしてその額がどうなのか、こういうことをまず監査委員を通じて監査をさせて、それで裁判の場でそこはちゃんと住民に説明をする。自分はこういうことで不法行為にならぬと考えている、あるいは損害額はそんな額じゃないと考えている、こういうことをその場に機関として説明をする、これが今度の訴訟の仕組みであるということでございます。

○中村(哲)委員

 今の御説明には何点か論点が含まれておると思いますので、それを分解して話をしていかないといけないと思います。

 ただ、今の御説明でも、被害を最終的に受けるのは自治体である、それは明らかになったと思うんですね。今の御答弁においても、最終的に首長の責任が認められた場合に被害を受けるのは自治体である、それは今の御説明でも私は明らかになっていると思います。

 あと二つ論点があるというのは、政策判断というのをそれ自体問う訴訟類型ではなかったのにもかかわらず、それが争われているので、それに対してどうにかしなくてはいけない、そういう点と、自治体が真実解明をするということに関しては、今でも訴訟参加という制度があるということだと思うんですね。だから、きちんと訴訟参加をしていけば、制度として今もきちんと運用できるのではないか、私はそういうふうに考えます。

 午後に提出予定をしております民主党の修正案では、政策判断というのをこの四号訴訟からは除外しよう、具体的に例を挙げまして、今までおっしゃったようなものを除外していこう、そういうふうな明文規定を置こうと考えております。それは、先ほど成田参考人がおっしゃった実体法の実体的な規定がない、不法行為、不当利得の返還請求をしていくときに、違法かどうか、それを判断する実体的な規定が明確でないことが問題だとおっしゃっていることに即応するものでございます。

 私は、やはり、被告をかえるということは、被害者が被害者を訴えることになる、そういうふうなことにつながってまいりますから、今おっしゃった弊害は、政策判断を明確に四号訴訟の範囲から除外するということを明文で確定すること、そして説明責任の観点からは訴訟参加ということをきちんと運用していくような形を明確にすることでできるのではないかと思いますが、その点についてはいかがでしょうか。

○成田参考人

 お答え申します。
 一つは、政策判断というものを民主党案ではっきりさせている、こういう御趣旨でございますけれども、私は、これまで憲法問題で、宗教に対する地方公共団体のかかわりあるいは宗教団体に対する公金支出、これは玉ぐし料とかいろいろな問題がございましたけれども、まさに憲法問題にまでさかのぼってこれが争われているわけです。

 これは、財務会計行為が単に違法であるとかいうふうな問題、形式的な財務会計行為の違法というふうなことではなくて、そのもとにある、そういうものにかかわった政策それ自体が争われているということになるわけなので、今度は確かに萎縮効果というものをなくそうということが目的ではありますけれども、ただ、我々も、それを非財務会計行為に限るとかあるいは議会の議決を経たものは一切争わせないとか、そういう選択肢はとらなかったわけであります。これは、今までいろいろの政策の問題が争われている、しかし今度はその政策を争われているということに対する地方公共団体の説明責任が非常に大事である、裁判の場で説明をさせるということで、この政策判断というものは訴訟から除外するというふうな選択はとりませんでした。

 これは、そういうことをもし書くとすると、私の判断では、それこそまさに骨抜きになるのではないかというふうに思われますし、それから、政策判断といいますと、それを法律に的確に書きあらわすことは非常に難しいのではないかというふうに思われます。

 それから、第二点の訴訟参加の点でございますけれども、この訴訟参加につきましては、現在でも、運用上、たしか八百何十件のうちの二百何十件ということですから、約四分の一については裁判所の訴訟参加を認めておりますけれども、これはそれだから、訴訟参加、それで認めているということは、両方に使える論理になるだろうというふうに思うのです。運用上それだけ出されているからいいだろうということにもなりますし、しょせんこれは裁判所の運用なんだから法律ではっきり書くべきだというようなことにもなるかもしれないので、この数字は両方に使える数字だというふうに思うのですけれども、訴訟参加というのは、今度、訴訟告知をすることによって明らかに相手方、その他の第三者に対してやはり訴訟に参加してもらう、参加していない者は、これは判決の拘束力で自分に有利な事実を主張できなくなる、こういう仕組みをとったわけでありまして、訴訟告知という形をとることによって訴訟参加を促す、こういうような形になっております。

 被告はあくまでも地方公共団体にするということになっているわけです。

○中村(哲)委員

 私の聞いたことに答えていただきたいので、福井参考人に今の二点について、答弁を聞いてどのようにお感じになるのか、また御自身のお考えをお聞かせください。

○福井参考人

 まず、一点目の政策判断については、先ほど答弁申し上げましたことと同趣旨でございますが、重要なことは、もちろん政策判断を完全に書き切るということは、これは神様だけができることでございまして、物理的に不可能です。そこは私も同感でございます。しかし、これまでの非常に豊富な判例の蓄積から、かなりの程度明確に、混乱を回避できるような類型ということは明らかに書ける、少なくとも明確に書ける類型がかなりのシェアで存在しているということは事実でございますので、完全に書き切ることは難しいけれども、できる範囲でできるだけ国民にわかりやすく条文を改めていくということは、これは自治体にとっても市民にとっても一定の意味があることだと私は考えております。

 それから、二点目の訴訟参加の件でございますが、今成田先生がおっしゃったように、私も二十数%のケースで行政事件訴訟法二十三条による訴訟参加を中心に参加がなされているということを承知しております。そして、現在の大部分は、民事訴訟法上の補助参加というものではございませんで、行訴法上の参加でございます。したがって、民事訴訟法上の参加というのは原告か被告かどちらかを応援するために、すなわち一蓮託生の運命にある者が参加するものですので、民訴法上の参加というのは基本的に住民訴訟では非常に認めがたいというのが現在の判例の運用であります。

 行訴法上の運用というのは、では何かといいますと、これは訴訟資料を豊富にするためということで認められるものでありますので、真実の究明に寄与するときには、ある意味ではこの行訴法二十三条の訴訟参加は極めて容易に認められるということでございます。

 しかし、現実を見ますと、訴訟参加をしているケースでは一部逆行している側面もあります。すなわち、訴訟参加した行政庁の弁護士が個人としての市長さんと同じ弁護士であって、実質的には個人の応訴の弁護士費用を機関として出されているというようなケースもございます。そういう意味では、実質的に公費による個人の応援というような側面が強いこともあります。そして、むしろそれ以外の訴訟参加していないケースでは、かえって第三者的立場から自治体から十分証拠提出がなされる、こういう実態も見られるわけでございます。

 したがって、訴訟参加自体がすべての決め手ということには必ずしもならないとは思いますが、少なくとも現在の行訴法二十三条の訴訟参加が訴訟資料を豊富にするためだという前提がある以上、そのような制度を、もし自治体が説明責任を果たすのであれば、積極的にその制度の趣旨に沿って活用していくということで、現在でも十分対応できると私は考えております。

 ただ、今ちょっと申し上げましたように、形式的に第三者にあるという現在の自治体の立場は、むしろ住民との間でもニュートラルな関係を築きやすい状況にありまして、かえってうまくいく、打ち合わせがうまくいく、証拠を実質的に任意で出してくれるということがございます。ところが、これが被告になってしまうと、やはり相手方を敵対関係とみなして争わないといけなくなりますので、先ほども述べましたとおり、極めて証拠の提出等にそごが出てくる可能性が強くなると思います。そういう意味では、本来中立的な行訴法の参加ですら事実上住民と敵対的に行動するという実態が広く見られるにもかかわらず、まして被告になってしまって原告と法的に敵対させられるという運命を自治体が背負ったときに、果たして本当に原告に有利な資料を中立的立場から積極的に出すというようなことが考えられるだろうかと考えるわけでございます。

 こういった点は、少しでも行政訴訟にかかわった者にとっては余りにも明白だというふうに私は考えております。

○中村(哲)委員

 福井参考人の説明、説得的だなと私は実感しております。

 成田参考人にもう一つ最後に聞きたい点ではあるのですが、もし訴訟類型が変わると、個人的不祥事を争う場合に、その不祥事を、自治体の責任といいますか、お金と、またスタッフで見ていくことになる。そのことに関してはどのようにお感じになっておられますか。

○成田参考人

 個人的な不祥事といいましても、それはいろいろな形態のものがあると思いますけれども、先ほど申しましたような刑事事件として違法なことをしたというふうなものについては、これは恐らく、判決が確定したり起訴されたりいたしますと、やはり責任を負うのは当然だというふうに思うのです。ただ、最近いろいろ問題に挙がっていますような、新聞で報道されているような個人の非行というのは、純粋に個人の立場で行った行為であるとすれば、これはやはり住民訴訟とは関係なしに個人として被害者とかそういうところに賠償すべきであるということになるわけでございます。

 恐らく、公務として行われたものについては、その非行の程度あるいは違法の行為の程度によって、やはり本当に損害賠償責任が生ずるのかどうか、地方団体に対する賠償責任が生ずるのかどうかということは、個々のケースによって異なってくるわけですので、一般的な形としてはお答えしにくい御質問だというふうに思っております。

○中村(哲)委員
 では、端的に言うと、背任、横領、先ほどおっしゃったようなケースでございますが、それについてきちんと答弁をなさっていただかないのがすごく不誠実な感じがいたしますけれども、同じことを、今度は福井参考人にお聞きしたいと思います。この点について、いかがでしょうか。

○福井参考人

 先ほど私も申し上げましたが、端的な横領、背任でも、だれから見ても犯罪行為ということでございますと、これは確かに住民訴訟などまつまでもなく、むしろ刑事法の世界で処理されるものと私も理解しております。

 しかし、この住民訴訟のかなり微妙な部分というのは、政策判断ではないけれども、公金を預かる首長等としてはいかにも注意義務を尽くさなかった、例えば倒産するに決まっている会社にお金をつぎ込んだというようなことは、もし銀行の役員が決裁をすればこれは通常背任で逮捕されて収監される、こういうことをしても住民訴訟だけで済んでいる例が、むしろ自治体の場合には多いと理解しております。そういう意味では、財政支出、会計支出に関する通常の注意義務を持って常識的に行動するという観点がむしろ首長には求められているわけでありまして、それを乗り越えたときに初めて住民訴訟で負ける立場になるという極めて常識的な判断が判例上も積み重ねられていると私は思います。

 したがって、そういうケースについてまで、なぜ被告をかえてまでこの防御の形を変えないといけないのかという点は、私はやはり必然性が十分理解できないでいるということでございます。

○中村(哲)委員

 成田参考人に、今の福井参考人の答弁に対する御感想をお願いいたします。

○成田参考人

 今の御答弁に対しましては、地方公共団体としましては、賠償責任を請求するかどうかということについて住民から監査請求があった場合に、監査の段階、それからそれを経た裁判の段階で、もしそういうことがはっきりしているような事実がある場合には、どうしてそれではその個人に対して賠償責任を追及しないのか、そういうことの説明をやはりしなきゃいけない。もし事情があってしないのであれば、それはそういうものとして今度はそこでちゃんと説明をするということになるわけですね。

 その結果、その裁判で、賠償する責任、賠償をしなきゃならない、賠償を命ずる義務があるということになりますと、第二弾の訴訟でそれは追及していく、こういう形になるわけでして、これはいろいろな談合なんかについても全く同じような状況になるだろうというふうに思います。

○中村(哲)委員

 それに対する福井参考人のお考えをお聞きいたします。

○福井参考人

 端的に申し上げますと、明白な犯罪行為等でないような、いわば個人的な明らかな判断ミスというのは、やはり住民訴訟の場で現実に争われているということがございます。こういった、いわば個人的不祥事に近いような個人的判断ミスで雇い主の自治体に損失を与えたというようなケースについても、すべて公費で弁護士費用や訴訟費用が賄われることになってしまうという点に、やはり今回の改正案の重大な問題点の一つがあると思います。

○中村(哲)委員

 時間が参りましたので、終わらせていただきます。問題点が明らかになったと思います。ありがとうございました。


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